当時私がこの三線を手にしたのは叔父が若い頃から大事にして弾いていた三線になります。タンスに眠っていた三線は残念ながら皮が破れておりました。その後、その三線を手にとり皮を張り替えする為に真っ先に三線屋を何軒も回りました。その時に対応した職人達が珍しいカラクイだねと皆言っておりました。私は棹とカラクイの詳細を知りたく後に銘苅氏に巡りつく。銘苅氏はカラクイを見た瞬間これボクが作ったんだよとつぶやいた。私自身もびっくりしましたが、銘苅氏の目には嬉しさと懐かしさ、まさかこんな形でボクが作った物が年数が経過し今、目の前に自分の元に巡り来たのを柔らかいあの笑顔で嬉しそうに笑みを浮かべてました】
●三線、ゆし木、本皮一枚張り、私の叔父が大事にしていた一品です。興味ある方にお譲りできればと思います。1946年〜1963年(昭和中期)使用年月日等または期日:1955年頃〜の使用物。●昭和当時物●皮は当時の本皮から張り替え済み。また当時施されていた皮や下地生地は当時にアメリカ軍等で用いられたパラシュートの生地を下地に利用した本張りでした。残念ながら三線を手にしたときは皮は破れてたので現在に至り新しく本皮へと張り替え致しております。○今となれば必要ないですが当時のパラシュート生地で施した当時ならではの本皮の一部は捨てられずにいます。
●カラクイ●カラクイは三線の棹作り職人(銘苅春政氏よる)この世に2つとない大変貴重な材品となります。※写真に写る黄色い奄美大島(弦)は現在の出品物には付属はしてません。ご理解の程宜しくお願い致します※
●大きく目立つ損傷は無く少々スレやらしき傷ありますが年代物、当時物から考えると比較的に綺麗なほうのレベルかと思います。個人的主観で(目立った傷や汚れ無し)に指定しております。
※神経質な方はご購入お控えいただけたらと思います。●また棹は無駄な曲がりやひねりなく職人達からはこんなに美人な棹は中々見ないと言われてました。職人が言うにはユシギの1番良い部分で中心部あたる丈夫でしっかりした材で大変貴重らしいです。個人差はありますがそこは自信持って提供できる三線です。
●胴そのものの胴内やまた棹(棹の1番下部)胴内の中にあたる部分に一部マーカーで名前記載あり。■こちらをご理解ご了承頂ける方■外部(見える範囲)には支障をきたす問題はありません。宜しくお願い致します。
カテゴリー:
ホビー・楽器・アート##楽器・機材##和楽器